世界中で活躍するドルを学ぶ

アメリカ合衆国の通貨であり、基軸通貨としても知られている「ドル」ですが、実はオーストラリアや香港など20ヶ国以上の国で自国通貨として使われているなど、世界中で活躍しています。

世界中で活躍するドルを学ぶ

ドルと日本の関係

ドルが日本に入ってきたのは江戸時代。当時の日本は鎖国が行われており、長崎の出島でオランダとだけ貿易がゆるされていました。この時にオランダ・ドル(ドルラル)が決済に使われたということです。これが明治になって「ドル」と短縮して呼ばれるようになり、今に続いているのです。
その後1853年にペリーが浦賀に現れた時、メキシコ・ドルを持ってきたと言われています。米大統領の命を受けたペリー提督は艦隊(黒船)を率いて日本に来航、幕府に開国・通商を要求しました。停泊中の艦隊から幕府に飲料や生鮮食料品や燃料の依頼がありました。人道的な見地から幕府はこの要求を受け入れ、これに対して米国側も金、銀、銅などを混ぜて350ドルぐらいを支払ったようです。幕府はすぐに持ち帰って分析してみると、ずいぶん粗悪品もあったようで、日本も安くみられたものですね。
1854年、江戸幕府とアメリカ合衆国の間で日米和親条約が結ばれ、下田で日本貨幣とドルとの交換比率の交渉が行われました。この時はなかなか決着がつかずに交渉は後日に委ねられ、1856年(安政3年)に再び下田で米国総領事のハリスとの協議が行われました。ハリスは国際的に通用させるためには一分銀3枚をもって1ドルに換えるべきであると主張して押し切り、交換比率を承諾することになりました。
この時の条約の日本語批准書原本は、幕末の江戸城火災により焼失しましたが、オランダ語によって書かれた批准書原本のうちアメリカ合衆国が持ち帰ったものについては、アメリカ国立公文書記録管理局で保管されており、現存しているそうですよ。
外国人商人が1ドル銀貨をまず一分銀3枚と交換し、それを両替商に持ち込んで一部銀4枚を小判に両替して国外に持ち出しました。小判を地金として売却すると莫大な利益が得られたといいます。ハリスもかなり儲けたとか。結果、大量の金(小判)が海外に流出することになりました。1853年のペリー来航から約20年後、アメリカでドルが誕生してから約60年、1871年の新貨条例により1ドル=1円という相場で「円」が誕生しました。そしてそれから約140年後の2014年1月現在、ドル円相場は1ドル約105円です。